HOMEへ戻る


[プロたちの館] プロたちが辿った成長の軌跡。


「新規技術分野参入へ果敢に挑戦する社内ベンチャーの立ち上げのプロ」長木 浩司(43歳)

  • プロへの道 プロローグ
  • プロへの道1
  • プロへの道2
  • プロへの道3
  • プロとは?

トップへ戻る


プロへの道 プロローグ

とにかく楽しくやりたい

大学院では、カーボンファイバーの研究をしていた従兄の影響もあって、当時、最先端の技術分野であった気相成長カーボンファイバー(現在のカーボンナノチューブ技術)を研究テーマとして選択した。学部時代は、どちらかと言うと学業より遊びを優先していた長木だったが、自ら選んだカーボンファイバーの研究では、人が変わったかのように研究に打ち込んだ。1回の実験が20時間近くかかるため、毎日ほとんど徹夜。

とはいえ、実験の合間にしっかりアルバイトをし、深夜に実験に戻るという充実した学生生活を送る。
学生当時の就職観は「とにかく、もの作りがやってみたい」というもの。さらに会社選びも、楽しくやりたいことができる会社を選んだ。「大学の研究室選びもそうでしたが、何ができるかよりも、とにかく楽しくやりたいことができるところを選んで来ましたからね」。住友ベークライトに惹かれたもの、大学の先輩達の影響だ。先輩達との会話の中で「この会社なら、自分が埋もれることなく好きなことができる」と確信できたからという。

ページトップへ


プロへの道1:1990年(入社1年目/25歳)~

予想外の孤軍奮闘が始まる
「今日でこの会社を辞める」という先輩の衝撃的な言葉

「今までに無いものを作ってノーベル賞を取るぞ!」と長木は旺盛な野心を抱いて入社した。配属先は、尼崎市の可ソ性樹脂製品研究所(現・フィルム・プレート研究所)のフィルム開発チーム。入社を決意させたあこがれの先輩達のいる部署だ。だが意気揚々と配属の挨拶に行った長木を待っていたのは、「今日で会社を辞める」というある先輩の衝撃的な言葉だった。「その先輩が1人でやっていた、よくわからない研究をいきなり引き継ぐことになりましたからね。そのテーマは、他のメンバーがほとんど関与していなかったため、誰に聞いても詳しい内容がわからない。毎日、夜中まで泣きそうになって事業所内をかけずり回ってました」。波瀾万丈の社会人生活スタートだった。

仕事もプライベートも全力で楽しんだ

それでも「仕事は楽しかった」という。当時取り組んだのは、フィルムへの磁気コートやダイシングテープ、リチウムイオン電池の電極材料の開発。配属直後から一人で担当する仕事が多く、「この技術分野では一番になるしかない」という自覚を深めていく。「半導体用のダイシングテープ市場は競合他社の寡占状態でしたから、殴り込みをかけるぞという勢いでしたね」。その意気込みが奏功したのか、長木が開発した製品は、その後の関係者の努力のおかげで、現在まで着実に売上げを伸ばし、いまでは月数千万円もの売上げをあげる製品となっている。
仕事が終わると夜はアイスホッケーの練習に明け暮れ、徹夜で飲んだ後でも定時に会社に来て、一心不乱に仕事に取り組んだ。とにかくなんでも全力で楽しむ姿は、学生時代となんら変わらなかった。
入社5年目には自らの研究テーマが認められ、数億規模の設備が導入された。しかし喜びも束の間、直後に阪神淡路大震災によって、事業所もろとも壊滅的なダメージを受ける。「どこから手を付ければ良いか分からないほどの惨状でした。でも1週間ほどで復旧し、生産が再開された工場を見て、何でもやればできるんだなと」。これは長木の人生観にも大きな影響を及ぼす出来事だった。

ページトップへ


プロへの道2:1996年(入社7年目/32歳)~

米国駐在員として新規技術の開拓へ
個別の製品開発から全社的技術企画へ

この頃、長木に転機が訪れる。それは会社の将来を支える新規基盤技術を考える全社プロジェクトへの参加だ。「製品を作る視点と、事業を成り立たせる視点はまったく違う。トップの人たちとの接点もあったし、収穫が多い1年でしたね。理論の背骨を持って自分の意見を話す大切さも、この時に痛感しました」。可ソ性樹脂製品研究所の代表として、尼崎事業所だけではなく全社的な事業を見る視点を初めて体験した。
その後、全社の研究開発を統括する本社技術部へ異動し、製品開発から全社的な事業の企画業務へと仕事内容が劇的に変わった。この技術部の仕事は元々興味をもっていた分野だった。しかし若い長木にとって、非常に難しい仕事でもあった。「開発現場に赴いては、研究テーマの内容やその実現可能性、予算、スケジュールなどさまざまな観点で、検証していくんですが、まあ、現場の人には煙たがられました。それも入社5、6年目の若造ですからね。『おまえに何がわかるんだ!』なんて言われたり。ただ、自分も現場にいたときは同じことを思っていたわけですから仕方ありませんよ(笑)」。

1年ほどで英語で交渉ができるように

1年間の本社技術部勤務のあと、米国へ技術駐在員として赴任した。取り立てて英語が得意だったわけではなかったので、赴任当初は語学修得にかなり苦労した。「広い家に、寝袋と裸電球、鍋1つと割り箸という装備で、家族が米国に来るまでの4カ月間は来る日も来る日も録画したCM(字幕が表示される)を見て英語を勉強しました。地元のスーパーでは買いたい物を探しては質問しまくったので、『あいつが来たぞ』とお店の人に覚えられるぐらい。変な日本人だと思われてたでしょうね(笑)」。なんとか英語にも慣れつつ、新規技術の種を集める駐在生活が始まった。「1年ほどしたら、英語で交渉ができるようになった感じがしたんです。そこからは仕事が面白かったですよ」。やはりここでも仕事を楽しむ長木。現地の企業であるプロメラスのM&A案件の発掘から実施までを手掛けるなど、貴重な経験を5年間の駐在員時代に積んだ。

ページトップへ


プロへの道3:2003年(入社14年目/38歳)~

新しい事業で、今までに無いものを生み出す
「それを自分でやろうとは思わないのか?」

米国駐在4年目が過ぎた頃、長木の会社員人生がまた大きく動き出す。「当時の技術統括専務(現・社長)に、『何か新しい事業の種はないのか?』と質問されたんです。その時、幾つかのアイデアが話題にあがったのですが、『それを自分でやろうとは思わないのか?』とひと言。ガツンときましたね。やってやろうじゃないかと(笑)」。専務の一言で光導波路を中心としたオプト関連事業を立ち上げることを決意し、事業企画書の制作に取りかかった。なぜベークが取り組むべき事業なのか、R&Dのプラン、事業ロードマップなどを折り込み、企画書を半年かけて書き上げた。そして、主だった役員たちにプレゼンテーションを行う。「向こう3年間で評価する」という言葉を取り付け、横浜の事業所で、オプト製品開発プロジェクトチームを立ち上げることとなった。

自らの手で新規事業の芽を育てる

長木の現在の仕事は、いわば社内ベンチャーの社長。「ベンチャーといっても独立した企業ではありませんが、その事業分野の研究開発活動に責任を持つ立場。実験から説明資料作り、予算立てに営業、なんでもやりますよ」と楽しそうに言う。責任のあるキツイ仕事だが、それも長木は楽しんでしまう。スタート当初に、自分が立てたプランを3年で実現することを約束。現在、その3年目の目標を越えて、次の3年目の段階に入った。事業化は着実に近づいている。
「光導波路は近くて遠い未来技術。将来性は誰もが認めるところです。電子機器関連の既存事業もあるベークが、取り組むべき事業だと確信しています」。その言葉には、自分の企画を自分でリードしてきた確固たる自信がある。「いまは夢が半分叶ったところ。これが将来会社を支える事業になったら、本当に夢が叶ったことになる」。何でも楽しみながら明るく乗り越えてきた長木。「今までに無いものを生み出したい」という目標は、いま現実になりつつある。

ページトップへ


長木浩司に聞くプロとは?

今の自分を採点すると・・・
60点

なんとか赤点にはならない60点ぐらいかな。100点だと伸びしろがなくなって、余裕がなくなるでしょう。だから、ここからがんばって80点ぐらいにして、それでもまだ伸びしろのある状態でいたいと思っています。


自分にとって「プロ」とは?
責任を持って結果を残せる人

約束した期限までに、考えられる最大限のアウトプットを自己の責任において提示する。プラスの成果だけではなく、“不可能である”とか“止めた方がいい”といったマイナス的なことでも、きちんと証明し納得してもらうのがプロの仕事でしょう。適当、いい加減、甘え、中途半端なアウトプットは、プロの仕事とは言えません。
それだけの期間をかけた事に対して、納得をしてもらえるアウトプットが出せないとダメだと思います。

プロになるために。
楽しんで仕事をすれば成果につながる

社内ベンチャーという自分の組織に責任を持つ仕事が、まさにこの会社の中ではプロの力が求められる仕事ではないかと思います。そのためには、「仕事はおもしろおかしく楽しく」につきると思っています。嫌々仕事をしたって、何もできない。腹がたつこともあるけど、前向きに取り組めば視野も広がるし、多方面からものを見ることができるようになります。柔軟じゃないと開発はできませんから、仕事はエンジョイしないと(笑)。その上で、プロとしての責任を果たしたいと考えています。

成長への転機。
「次世代基盤技術プロジェクトチーム」への参画

1993年、入社4年目に参加した、全社横断的な新規事業探索の取り組み、「次世代基盤技術プロジェクトチーム」への参画、これがターニングポイントとなったと感じています。各研究所から人が集まり、10年後の会社の姿を提案しようという場に、可ソ性樹脂製品研究所の代表として参加。各事業の仕事内容を知り、会社全体を俯瞰するという視点に立つことで、「もっといろいろな事を 知っておく必要がある」と痛感しました。

ページトップへ

ページトップへ