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[プロたちの館] プロたちが辿った成長の軌跡。


「世界を相手に高機能部材を売る海外営業のプロ」有本 一弘(42歳)

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プロへの道 プロローグ

自分が作ったものを世界に売る

中学時代は英語が得意で、将来は世界を股にかけるような仕事がしたいと考えていたという有本。大学進学時にあえてスペイン語学部を選んだのは、「これからは英語なんてできて当たり前の時代になる。それなら英語以外の言語も身につけた方が得策」と考えたからだ。「ところがそれが裏目に出て、社会人になってから英語で苦労する羽目になりました」と笑う。就職活動ではメーカーにこだわった。

「単にモノを右から左に流すだけの仕事ではなく、何か自分で作り上げたものを売る仕事がしたいと思ったんです」。そんな中、たまたま人にすすめられて面接を受けたのが筒中プラスチック(注1)だった。「伸び盛りの会社で、海外営業に力を入れているという話を聞いて、ここなら自分の考えているような仕事ができそうな気がしました。また採用担当の方が親身に相談に乗ってくれて、こういう人がいる会社で働いてみたいと思ったのも入社を決めたポイントでしたね」。

注1
当時、住友ベークライトの関係会社。
2007年7月、住友ベークライトに統合。

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プロへの道1:1989年(入社1年目/23歳)

外語大卒なのに英語で苦労した新入社員時代
希望通り海外営業部へ

入社後、配属されたのは海外営業部。「世界を相手に仕事がしたい」という有本の希望通りの配属だった。さっそく先輩の指導の下、主力商品であるポリカーボネート材の輸出業務を担当することになった。輸出先はアメリカ、ヨーロッパから東アジア、ASEAN諸国と世界中にわたる。
まず学ばなければならなかったのが貿易実務のノウハウ。海外営業部の取引は代理店を経由のものと、海外の会社との直接取引があり、後者は、船便の手配から通関手続きまで全部自分でやらなくてはいけない。どうすれば商品を船積みできるのか、航空便を使うのはどんな場合か、どんな書類を用意して、どういう通関をするのか。そういった貿易の基礎を覚えるところから社会人生活は始まった。
当然、海外とのやり取りは英語で行うことになるが、出身は外国語学部。専攻こそスペイン語だが、もともと英語は得意な方だったから、それほど心配はしていなかった。しかし「すぐにそれが大きな間違いだと気付かされました」という。

英語力不足を痛感。猛勉強の日々

取引先から引き合いがくると、取引の条件や金額、納期などを記した英文の見積書を書いて、先輩や上司にチェックしてもらう。「ところが戻ってくると赤ペンの修正だらけ」。ビジネスで使う英語は日常会話とは全然違うものだと、このとき初めて理解した。また海外から直接電話を受けることも多かったが「英会話も全然ダメだと痛感しました」。
これではいけないと反省して、教材やテキストを買って勉強を始めた。通勤の電車では英会話のテープを聞き、夜はビジネス英語のテキストと格闘する毎日。さらに休日には英会話スクールにも通ったという。そんな猛勉強の甲斐あって入社2年目に入った頃には、先輩の手を借りなくても、通常の業務ならこなせるようになった。
初めての海外出張は2年目の秋。最初は上司が同行してくれたが、2回目からは「一人で行かされました」。当時の海外営業部は男女3人ずつ計6人の小部隊。期待のホープである有本には、一日も早く独り立ちすることが求められていたのである。

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プロへの道2:1992年(入社3年目/28歳)

6年半に及んだシンガポール駐在
“シングリッシュ”から学んだもの

海外営業マンとして自信も出てきた入社4年目、有本はシンガポール駐在員事務所への異動を命じられる。シンガポールに着任した彼が一番ショックを受けたのは、現地人の話す英語だったとか。「中国語訛りが強い“シングリッシュ”で、最初は何を言っているのか全然わからなかった」。たとえば“Car park”は『カッパ』、“Think”が『ティン』という具合。それから有本は毎日、駐在所の現地スタッフに相手をしてもらってシングリッシュをマスターしたが、これがあとで大いに役立つことになる。
「現地企業の中には、支払いを勝手に引き伸ばす会社が多く、その催促も駐在員の役目でした。当初、きれいな英語で催促していたときはなかなか払ってくれなかったのに、シングリッシュを使うようになると払ってもらえるケースが増えてきた」。こうした経験から、海外では「相手の国の文化や習慣を理解してこちらから歩み寄ることが、受け入れてもらうための重要なカギになると気付いた」という。

人との出会いが人を育てる

その後、インドネシア工場の建設、現地法人設立計画、自身の結婚などさまざまなことがあり、有本のシンガポール駐在は6年半の長期に及んだ。その間、「国内では味わえない、いろんな経験ができた」という。
その一つが視察に訪れた重役のアテンド業務。「現地の案内をする合間に、経営陣や役員クラスの人たちと言葉を交わしたり、直接、話を聞く機会に恵まれました。こうしたクラスの人たちが、会社に対してどういう思いを持って仕事をしているのかを垣間見られたのは、非常に勉強になりましたね」。
もう一つ特筆すべきが駐在員同士の交流。「当時シンガポールには日本人駐在員が数多くいた。日本人同士という安心感もあってすぐに仲良くなり、他業種の友人がたくさんできました。このときの人脈は、いまでも僕の財産です」。実は現在の住友ベークライトの小川社長も同時期に駐在していて、駐在員コンペ等で、よくゴルフをご一緒した仲だとか。こうした年齢や肩書きにとらわれない交流ができるのが海外駐在員の魅力だといえる。

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プロへの道3:1999年(入社10年目/33歳)

ドラスチックな代理店改革を推進
代理店の向こう側が見えない

99年に帰国して東京の海外営業部に復帰した有本が取り組んだのが、代理店システムの改革だった。実は駐在員時代から、それまでの代理店システムに限界を感じていたと有本は言う。「代理店を使えば、現地に倉庫を持ったり、ユーザーの与信管理をしなくてすむというメリットがあります。しかしその代償として、代理店の向こう側で何が起きているかが見え難くなってしまうのです」
たとえばこんなケース。代理店からある材料の注文が6カ月連続で大量に入ってきた。この調子なら今後も需要があるだろうと考えて設備を増強したところ、翌月からその材料の注文がゼロに。代理店に問い合わせると、しばらく前からその材料を組み込んだ製品の売れ行きは徐々に落ちていたのだが、メーカーが販売をてこ入れしていたので、在庫をキープしていた。ところがついにメーカーもあきらめて生産中止を決めたという。「代理店から来る数字だけしか見ていないと、このように経営判断を誤ることになりかねない。したがって早急に情報の流れを改善する必要がありました」。

すべての代理店を新方式に切り替え

こうしたミスを避けるには、代理店の先にいるユーザーの動向に目を配ることが必要。「残念ながらこれまでの代理店システムでは、細かなユーザー情報まで集めることができていなかった」。対策としては、代理店を介さない直販方法に切り替えることが考えられるが、すべてのユーザーを直販方式にすることは不可能だった。
そこで有本はすべての代理店に対し、「これからは直接エンドユーザーのところに出向いて情報収集をしてほしい」と依頼した。なかには、そんなことできるわけがないと言って抵抗する代理店もあったという。「いくら説得しても耳を貸してくれない代理店については、残念ながら契約を解除させてもらい、すべての代理店を情報収集のできる業者に切り替えました」。この代理店改革により、エンドユーザーの状況がタイムラグなしでつかめるようになり、効率的な営業戦略が立てられるようになった。

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プロへの道4:2003年(入社14年目/38歳)

上海駐在員事務所立ち上げに奔走
誰が立ち上げを担当するのか

97年のアジア通貨危機以降、取引先である電機メーカーや加工会社が相次いでASEAN諸国から中国へ生産拠点を移転。有本も99年に帰国してからは、代理店のフォローや営業のため中国に出張することが増えていた。今後も中国に進出するメーカーは増えていくことが予想され、中国事務所が必要になることは明らかだった。問題は誰がその立ち上げをやるか。部長が声を掛けたのは、当然のように有本だった。
「長い間、海外営業や海外駐在を続けてきて、このあたりで少し違う仕事、できれば開発寄りの仕事をしたいという気持ちがあった。しかし「筒中の海外営業部のメンバーの中で、中国に何度も出張して多少なりとも中国人の気質を知っている人間といえば自分しかいない。他の人が行けば、ものすごく苦労するのは明らか。ここは自分がやるしかない、というのが最終的な結論でした」。

改めて感じた人脈のありがたさ

まず行ったのは場所の選定。各方面から情報を収集し、いくつかの候補地を歩いて上海に決めた。当初は03年3月の取締役会で承認を受けてすぐ上海に渡る予定だったが、2月に発生したSARSの影響でいったん延期に。渡航禁止が解けた8月から活動を再開して、上海市の開設許可が下りたのが12月。そこから上海に入って賃貸契約や内装工事を行い、事務所立ち上げにこぎつけたのは翌年2月だった。
「無事に開設できたときは、大きな壁を乗り越えた気がしましたね」。社内には中国事情がわかる人間がおらず、事務所開設の手続きから、業者の選定、スタッフの採用方法など、一から自分で調べなければならなかった。とくに困難を極めたのが内装工事。「業者は平気で約束を破る。文句を言おうにも英語も日本語も通じない。不案内な土地で本当に心細い思いをしました」。
実はそのときに頼りになったのがシンガポール駐在時代の人脈。「当時の駐在員仲間の中に上海に来ている人が何人かいた。その人たちの助けを借りて、ようやく作業がスムーズに進むようになった」。改めて人脈の大切さを痛感した。

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プロへの道5:2006年(入社17年目/41歳)~

いま始まった新たな挑戦。高機能部材で世界へ
ターゲットは世界の携帯市場

2006年6月、3年半の上海駐在を終えて帰国した有本は、光学製品開発グループに配属され、営業チームの担当課長となった。光学製品開発グループは、液晶ディスプレイなど光学関連機器向けの樹脂部材を開発・販売するセクションである(注2)。
主力商品は、携帯電話の液晶表面を保護し、光学特性を高めるLCDレンズという部材。液晶画面の表面材というと単なるプラスチック板のように思う人もいるかもしれないが、耐衝撃性に優れたポリカーボネート材をベースに、耐擦傷性や透過性を高めるコーティングを施した高機能ハイテク素材なのである。
「現在、世界の携帯電話出荷台数は年間約10億台。その8割をノキア、モトローラ、サムスン、ソニー・エリクソンといった海外の5大メーカーが占めている。一方、日本の携帯電話メーカーのシェアは国内10社全部を合わせても5%程度。したがってわれわれとしては、圧倒的なシェアを持つ5大メーカーにいかに食い込んでいくかが最重要課題といえます」。

注2
2007年7月の住友ベークライトとの統合により、光学製品開発グループはそのまま住友ベークライトの組織の一部門となった。

7つの海を越えて夢の実現に邁進

現在、有本は毎月2回から3回は海外に出張しているという。1回の出張が4日~6日とすれば、1年のほぼ半分は海外にいる計算だ。 「まずは各メーカーの開発部門を訪問し、いま当社ではこのような新素材を開発しているが貴社の新モデルに採用検討してもらえませんか」という話しをします。先方から『もっと表面が固く、指紋が付き難く、割れ難い板は有りませんか』といった新しい要望が出てきたら、それを研究開発チームにフィードバックして開発を進め、その結果をまたメーカーにぶつけていく」。このように営業と開発が一体となって、高付加価値部材をスピーディーに作り出す環境を備えている点が光学製品開発グループの強みだ。
思い返せば「自分が作ったモノを、世界中に売る」というのが、かつての有本の夢だった。開発部隊と一緒になって商品を開発し、世界を股にかけて市場展開する現在の姿は、その夢の実現に限りなく近づいていることは間違いない。

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有本一弘に聞くプロとは?

今の自分を採点すると・・・
60点

学生時代に思い描いていた「海外に出て行って自社で開発した商品を売る」ということについては、思った通りの仕事ができています。自己採点が低いのは、自分が企画した商品がまだそれほどのシェアを獲得できていないため。


自分にとって「プロ」とは?
相手を深く理解し、お互いにメリットのある商売ができる人

単にモノを売るだけなら、すぐに売れるよという営業マンはたくさんいるでしょう。しかし商売というのは「一度売ったらそれで終わり」ではなく、長いスパンで安定した取引が続くのが本当の商売。そのために大切なのは、相手の文化や歴史を理解し、相手の立場に立って考えてみることだと思います。このように相手のことをよく理解した上で、互いにメリットのある商売を続けていけるのが真の商売人、プロフェッショナルなのではないでしょうか。

プロになるために。
商売をする相手国の友人を持つこと

日々勉強を続けることと人脈を作ること。とくにおすすめしたいのが、現地の友人を持つことです。現地の人と仲良くなると、その国のことがより深く理解できますし、彼らが日本をどう見ているかもわかる。そのときに大切なのは、相手の喜びそうなことばかり言ってお茶を濁すのでなく、歴史や宗教といったデリケートな問題についても遠慮なく話ができる関係を築くこと。簡単ではないかもしれませんが、そこを素通りすると通り一遍の関係で終わってしまうので要注意です。

成長への転機。
初めて日本を外から見た駐在経験

転機は20代の後半に経験したシンガポール駐在。
初めて日本を外から見て、日本の弱い部分がよくわかった。端的に言えば「意思決定が遅い」「頭が固い」。日本だけの価値観でモノを語っていてはいけないということを強く感じました。これから社会人になる人も、チャンスがあればぜひ若いうちに一度は海外駐在を経験することをおすすめします。

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