最初に配属された部署は人事勤労部。採用活動や社員の海外出張のサポート、派遣の精算事務などに携わりました。仕事のスケジュール管理や優先順位の付け方といった働く上での基本スキルの習得に努めた時期です。困った時ほど上司や先輩に早めに相談することが大切だということも学びました。最初に訪れた転機は、2年目の秋。本社から静岡工場の業務部総務課に異動した時です。本社と異なり、工場の総務は人事・労務、労組対応、教育訓練、福利厚生、文書管理など何でもやります。これらすべての業務を経験したことで、業務全体の流れや意味をようやく掴むことができ、やっと胸を張って「住友ベークライトの社員です」と言えるようになりました。また労組対応では、経営側の考え方と労働組合側の考え方の双方を知ることができ、先入観を持たずに相手の立場に立って話を聞く力を磨くことができました。
工場の総務部で7年間働いた後、本社の人事勤労部に異動。今度は会社全体の労務担当として「自分の仕事がそのまま会社のルールになる」という非常に責任の重い仕事を任されました。ただ、最初はその責任の重さを自覚し損ねていました。工場時代は自分が走り回れば物事が進みましたし、失敗しても謝れば許してくれる雰囲気があったので、どこか慢心している所があったのかもしれません。ある時、各所に通常の業務外の依頼をしたのですが「本社でやるべき仕事の付け替えだ」という苦情になって返ってきてしまったのです。その時に上司に「もっと、その後にどういうことが起こるかを考えてから行動しなさい」と叱られました。自分の行動によって「誰にどんな影響があるのか?」「どんな反発が起こるのか?」「その反発に対する対応は?落とし所は?」と先回りして考え、シナリオを描いて仕事をすることの重要性を思い知りました。
その後、同じ部署にいながら全社の給与計算システムを新しく立ち上げるプロジェクトの担当になったのですが、振り返るとこの頃が肉体的には一番追い込まれた時期かもしれません。人事勤労部には在籍していたものの給与計算事務の知識はほとんどありませんでしたし、システムに関しても素人同然。さらに、第一子も生まれ、仕事も家庭も初めてづくしの毎日でした。加えて、約3000名にものぼる当時の社員全員の生活に関わる給与を算出するというプレッシャーものしかかり、毎晩遅くまで会社に残っていました。とくに、クリスマスの夜に必死に数字のつき合わせをしたことは印象に残っています。上司にも付き合っていただき、街が華やかにきらめいている中、地道に一つひとつ目視で確認していきました。ただ、このプロジェクトを担当したおかげで本当に成長できました。プロジェクトにおけるスケジュール管理や関係部署との調整など、ここで身につけた力はその後のどんな仕事にも役立っています。
自分自身のキャリアを振り返って改めて思うのは、「目の前の仕事に全力で取り組んだ先にしか、成長はない」ということ。正直、私がずっと歩んできた人事や総務の仕事はそれほど脚光を浴びる仕事ではありません。問題が起きなくて当たり前。しかし、その仕事ぶりは周りの人間がきちんと見ています。そうして相応しい次のステージへと繋がっていく。だから、若いうちはとくに「この仕事は必ず次の仕事に繋がっている」と信じ、まず目の前の仕事に全力を注いでほしいと思います。「たかが仕事、されど仕事」です。1日のほとんどを会社で過ごすのだから、仕事はやらされるのではなく、主体的に取り組んだほうが絶対に楽しい。私自身も現在、鹿沼工場全体を裏から支える業務部の部長となり、社員が今以上に「会社を好きになる」ための施策をどんどん思案している最中です。一緒に楽しく頑張りましょう。
1994年04月〜1995年09月 本社 人事・勤労部門
1995年10月〜2002年09月 静岡工場 業務部 総務課
2002年09月〜2009年10月 本社 人事・勤労部門
2009年11月〜2013年06月 秋田住友ベーク株式会社
2013年07月〜 鹿沼工場 業務部 部長